このブログも諺で始めたいです:“Andere L醇Bnder, andere Sitten“. このことわざは、どこの国の言語にも存在すると思います。 外国語に興味持っているので、いつも言語学的な点に気を付けています。 これはとても面白いです。 違う言語で、同じことを違って言います。 例えば:日本の諺の一つに、「一石、二鳥」があります。 ドイツ語なら、“Zwei Fliegen mit einer Klappe“ (一撃で、ハエ二匹)と言います。 全然違います。
遠く離れている国ほど、この違いの数がもっと多いと思います。 同じ語源をもたない言語は、全然似ていないです。 日本語とドイツ語は一つの例です。 日本語の勉強は大変過ぎると思うとき、残念だなと思います それで、時々、外国語を勉強するのが辛いとおもいます 初めて日本に来たときは、日本語をすこししか話せませんでした。 だから、ちょっと自己紹介するだけで、相手とちゃんとした会話は出来ませんでした。 しかし、外国語を学んでいる人にとって、会話はとても大切です。 相手の国の言語を話せれば、国際文化交流がもっと簡単で、楽になります。 私は、外国語で相手と上手に会話できる人を素晴らしいと思います。 相手をよく理解できる人は、もっとよく交流できて、相手の文化ももっとよく理解できると思います。
人間は自分の気持ちを言葉で表します。 人は皆違うから、話し方も色々あります。 時々、言語だけで色々な考え方も表すことできます。この点で、日本語とドイツ語はちょっと違うと思います。 多くの場合、このような差を無視できません。例の一つは「いいえ」と „nein“の言葉の語用論。 日本語の勉強を始めてから、日本人が相手に「いいえ。」や「ノー!」と言われたときの反応を見て、おどろきました。 一般的に言って、相手に「いいえ。」と言われたときの日本人の気持ちは、あまり良くないと思います。 この場合、日本人は普通とてもびっくりすると思います。 しかし、例えば日本語の授業に通っている外国人の生徒は、この日本人の反応にあまり気付かなく、また気にしません。 だから彼らは、日本人に対して、よく「ノー!」と言ってしまいますが、私は、時々このような言い方は、日本人に対してちょっと失礼だと思います。
でも、外国語を勉強する人にとって、相手の言葉の文化も理解するのは難しいです。でも面白い経験です。 自分のアイデンティティも国民のアイデンティティも、適応性と柔軟性が大切だと思います。 だから、日本人の日本語の話し方を真似すると、すぐもっと日本人っぽく見えると思います。 逆もそうだと思います。 一回試して見てください。
前の話に戻りましょう。 日本語とドイツ語の差について話しました。 もう一つの珍しいことがあります。 日本語の「あいまいさ」はけっこう大きいと思います。 ドイツ語とは違います。 ドイツ人はよく、思っていることを具体的で直接に言います。 あまり文を、あいまいにしません。両方の言い方を知ると、時々迷ってしまいます。 たとえば、高校のとき授業中、ドイツ人の先生に自分の返事を言ったとき、よく、この文にドイツ語の「...と思います。」か「かもしれません」のような言葉を入れました。 あるとき、この先生に「...と思いますを使わないほうがいいですよ!」と言われました。 しかし、日本語の授業中、日本語でこのような言葉を使わなかったら、日本語の先生に「・・・と思います」を使って欲しいと言われました。 ほんとに大変です。
日本語で話したり、日本語の文章を読むときは、普通、自分で解釈することが必要だと思います。 文書を読むとき、漢字が絵みたいと思います。 実は違うと分かっているのに、そう思います。 だから、文がそんな具体的にみえません。アルファベットで書いた文と全然違います。 日本語の文章を理解するために、その文章の全部を読んで、全文章について考えることが必要です。 日本語という言語は、漢字やひらがなといった「文字」を使うので、とても抽象的になるのだと思います。 だから日本人は、よく、言いたいことを繰り返すのだと思います。 ドイツ人は、一度言ったことを繰り返し言うことは、あまりありません。私は、日本人が会話するとき、相手の言っていることの意味が分からなくて迷ってしまう時があるかどうか、知りたいです。 多分そう思います。 友達にとても現代的な日本語の言葉を教えられました。 この言葉は「KY、空気が読めない人」です。 ぜったいこのような人もいます。 このような人にならないように、外国語の勉強と文化交流が大切だと思います。
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